海外各地の旅行先で出会った鉄道風景を紹介します。日本国内の話題も時々。

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鉄道の町・パラナピアカーバ

[2010年12月]

パラナピアカーバ (Paranapiacaba) は、サンパウロ中心部から約40 kmの位置にある、山あいの小さな町です。イギリス資本の旧サンパウロ鉄道 (São Paulo Railway, SPR) が建設した「鉄道の町」で、かつてはパラナピアカーバ駅を中心に多くの鉄道労働者が居住し、大いに栄えました。イギリス風の街並みがつくられ、「英国町 (ア・ヴィラ・イングレーサ A Vila Inglesa)」とも呼ばれています。現在は、鉄道の要衝としての役目も終え、昔の活気も失われた静かな町となりましたが、かつての遺構を活用した観光の町としての再生を図っています。

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人家もまばらなな山間部に広大な構内を擁する、現在のパラナピアカーバ駅。この辺鄙な場所に大規模な駅が作られた理由は、この場所が、港町サントスと海抜700mのサンパウロとの間にある急峻な斜面「海岸山脈 (セーハ・ド・マール Serra do Mar)」を登りきった位置にあり、その登山路線の基地を設ける必要があったためです。さしずめ、ブラジル版の「横川~軽井沢」といったところでしょうか。海から吹く湿った風の影響で、このあたりはしばしば深い霧に覆われます。


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旅客用プラットホーム上にそびえる大きな時計台 (まさに英国風) は、この駅の、そしてこの町のシンボルです。比較的近年までは、この駅はサンパウロ近郊電車D線 (現・CPTM 10号線) の終着駅でした。現在は一つ手前の駅で運行が打ち切られ、今日この駅を発着する定期旅客列車は一本もありません。ただ、隔週日曜には、CPTMが運行する観光列車「エスプレッソ・トゥリスチコ (Expresso Turístico)」がこの駅までやってきます。普段は専ら貨物専業です。


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サントス方面に向かって伸びる線路。サンパウロとの間を結ぶ貨物列車が多数運行されています。丸紅が主体で整備したアプト式が採用され、日立製の電気機関車も使われています。アプト式の採用以前は、ケーブルカー・システム (システマ・フニクラール Sistema funicular) が使われていました。ケーブルカーといっても専用軌道を走る小規模なものではなく、普通鉄道の線路間にケーブルを通し、専用のブレーキ車を介して普通の客車や貨車を引き上げるという大掛かりなものでした。


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現在、この駅は一種の「鉄道博物館」として公開されています。前述の旅客用プラットホームや、ケーブルカーの引き上げ装置などが見学できるほか、「マリア・フマサ (Maria fumaça、蒸気機関車)」の保存運転が行われています。公開時間は週末と休日の16時までですが、今回訪問時は到着が遅かったため、残念ながらすべて外から見るだけとなってしまいました。写真の客車はその保存運転用のもの。主役のSLはレンガ倉庫の奥に引っ込んでいるようです。


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駅構内の片隅に放置された、クラシックすぎる車両。客車2両と短車体の動力車1両からなる、プッシュプル方式の旅客用ディーゼル車だったようです。車体中央にデッキがある構造で、窓割から推察するに、客車の運転台側半室は一等席だったと思われます。


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現役時代は、足回りまで車体外板で覆われた流線型の美しい車体だったことでしょう。保存するつもりで置いたのか、ただ放置されて朽ちてしまったのかは分かりません。


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現在は貨物専業のこの駅、管理も貨物会社のMRSロジスチカ社 (MRS Logística) により行われています。


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転車台などは貨物牽引機用に現役で使用されているようです。


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駅の裏手にまわると、使用されていないプラットホームがあり、こちらにも無数の廃車体が。


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プラットホームには柵があって、中に立ち入ることはできませんが、それにしても多種多様な廃車体たち。まさに「列車墓場」です。


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その一角におかれた、小型の蒸気機関車のような廃車体。これが、前述のケーブルカー・システムで使用された専用ブレーキ車、「ロコブレーキ (Locobreque)」です。ブレーキ車は、客車や貨車とケーブルとをつなぎ、且つ斜面でのブレーキ制御の役割を果たしていました。ケーブルカー区間には、旧線 (セーハ・ヴェーリャ Serra Velha) と新線 (セーハ・ノーヴァ Serra nova) の二本があり、このうち「ロコブレーキ」は新線で使用されていたものです。


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こちらは別記事で紹介した、サンパウロ・移民博物館の「移民列車」の線路脇に保存されたロコブレーキ。旧線、新線ともケーブルカー区間はいくつかのセクションに分割され、各セクション間では車両を移動してケーブルを繋ぎなおす必要がありましたが、ロコブレーキは蒸気機関を自ら搭載することで、セクション間の自走移動が可能となり、手間と所要時間の削減に大きく貢献しました。


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こちらは、同じく移民博物館で撮影した、旧線用のブレーキ車「セハブレーキ (Serrabreque)」。動力は搭載されていません。なお、旧線と新線は長らく並行して使用されていましたが、旧線が先に廃止され、新線は80年代まで現役で使用されていました。前述した現在のアプト式路線は、かつての旧線を改良して使用しているものです。新線は現在はそのまま廃止となっています。


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パラナピアカーバに戻ります。こちらは、住宅地の一角まで入り込んだ引込み線。車内設備の改修等に使用された工房の跡とのことです。


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現在のパラナピアカーバは、人口も減り、英国風に作られた街並みも空き家が目立つようになっています。「鉄道の町」としての地位は過去のものですが、今日では、海岸山脈をサントスまで歩いて下るトレッキングコースの基地として人気があるとのこと。週末を中心に多くの観光客でにぎわっています。


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