西鉄宮地岳線・その後
[2007年11月]
西鉄宮地岳線の北半分、新宮~津屋崎間は、2007年春を以ってあえなく廃線となってしまいました。今回はその廃線跡を巡りに、再びこの線を訪れました。廃線から8ヶ月弱と日は浅いですが、その後の変化の程は如何に。
現在の終点、新宮駅。西鉄宮地岳線は、北半分の廃止によって宮地岳へ行かなくなってしまったため、現在は西鉄貝塚線と呼ばれています。貝塚はこの線の起点であって、線名に起点の地名を付けるのは珍しいですが、「香椎線」ではJRと紛らわしくなるため、あえて避けたというところでしょうか。
レールは無常にもプラットホーム部分ですでに寸断されています。
新宮駅のすぐ北隣には、線路跡の上にバスの転回場がつくられています。
バス転回場の向こう側は、まだバラスト道床が残っていますが、すでにレールは剥がされています。少しだけ架線が残されているのは、現存線の架線の張力を保つための機構 (テンションバランサー) であって、必要な部分以外は架線柱ごと完全に撤去されています。
新宮から津屋崎を結んでいるバス。これに乗って廃線跡を巡ります。しかし、残念ながら旧線路脇はほとんど通りません。
古賀駅付近でバスを降り、駅跡を見学。レールどころか、駅舎やプラットホームまで跡形も無く完全撤去。仕事が早いのは良いことですが、わずか8ヶ月間でここまで撤去されているのは驚きです。
古賀駅跡から新宮方を見たところ。積み上げられたPC枕木が、ここが線路であったことを示しています。
更にバスに乗って終点・津屋崎駅跡へ。写真は駅舎があったところですが、跡形も残っていません。
津屋崎駅跡を新宮方から見たところ。レールも架線柱もプラットホームも全て撤去されています。
上と同じ地点から、新宮方へ向いたときの光景。ここもバラスト道床のみです。廃止から8ヶ月という短い期間の間に、ここまで施設が撤去されているのは少々驚かされるとともに、廃線跡巡りとしては少々ツマラナイ展開という感じです。ここに鉄道が走っていた事実を忘れ去られる日も早そうです。せめて残存区間が健闘してくれることを祈ります。